給食当番の神様

子供の頃からなぜか私は風が怖かった。きっと赤ちゃんの頃に何かあったのだろう、強い風がびゅんと顔に当たるだけで息ができなくなると錯覚し、パニックになってしまうのだ。自転車までたどり着いた私の足は力が抜け、手はぶるぶる震えていた。風の恐怖から意識を逸らすため、私は思い出の中に逃げ出した。

 

中学生の私は体育の授業でグラウンドに出ていて、マラソン大会の準備のために長距離走をするところだった。その日は風の強い日で、グラウンドに体育座りをしながら先生の指示を聞いているだけで心臓が騒ぎ出すのを感じた。このくらいの風なら大丈夫だろうか。でもこれから走って息苦しい時に顔に風が当たったら怖いんじゃないか。いっそのこと体調が悪いことにしてさぼってしまおうか。あれこれ逡巡しているうちに先生の説明は終わり、スタート地点に集合することになった。休むにしてもなんて言ったらいいのかわからず、見え見えの嘘をつくのも憚られ、まして苦手な体育教師を相手にするのだからひとたまりもない。さぼる選択肢は消え、残るは我慢して走ることだった。心なしか風は一層強まり、木々の幹まで揺れているように感じた。

その時だ。ふとあることを思い出しポケットに手を伸ばすと、そこには給食当番で使うはずのマスクがあった。そうだこれさえあれば守られている。小学生の頃、風の強い日に登校できなくなった私は、学校から風の強い日は遅れて登校する許可をもらい、母と一緒に風が弱まってから登校したのだった。その時に必ず私はマスクをしていた。マスクをすると鼻と口が守られ、どんなに風が吹いていても自分が呼吸をしていることを感じられる。そうして正気を保って外を歩くことができたのだ。中学生の私はマスクを見つけた瞬間給食当番の神様に感謝した。私にマスクを授けてくれてありがとう。これで走れます。

先生にマスクをつけて走りたいと説明した後、私はけろりとグラウンドを走り抜け、まずまずのタイムでゴールした。先生を始め周りの生徒たちはマスクをした方が息苦しいのにおかしいと口々に言ったが、そんなことはどうでもいい。風が強くて息ができないかもしれない、なんて阿保みたいなことに真剣に怯える人だっているんだ、世の中には。

 

自転車の隣にしゃがみ込んだ私は中学時代のことを思い出すとともにポケットに手を突っ込んだ。期待通りそこには花粉症対策のために持っていたマスクがあり、マスクに触れたところから指先がじんわり温まるようだった。丁寧にマスクを広げ、口元に当てる。ひとつ。ふたつ。ゆっくり呼吸を繰り返し手足の感覚を取り戻す。プラシーボ効果なのだろうか、たった一枚のマスクが私と外気を隔てることで私は私を取り戻す。そして自転車に跨りさっき来た道をそのまま戻った。

自転車を漕ぎながらマスクをつけ始めた時のことを思った。風が怖いなんて意味のわからないことを言い始めた幼い娘を持った母親はどんなに心配しただろう。母さんが私にマスクをくれるお母さんでよかった。2時間目に間に合うように一緒にゆっくり歩いて登校してくれるお母さんでよかった。あんなに私と弟を大事にしていた母さんが、こんなにあっけなくいなくなったりするだろうか。マスクの中で吐く息が顔を温め、私を励ました。

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